「新」人材派遣物語   Vol.1

  ∼事務次官の理解が創刊に弾み∼

   月刊人材ビジネス主筆    三浦 和夫


  月刊人材ビジネスは7月で創刊以来30年が経ちます。新法である労働者派遣法施行と同時の第1号の発行でした。この欄では、月刊誌の取材を通じて私の目に映ったいくつかのシーンなどを紹介します。過去を知ると今がわかります。それがわかれば未来がほのぼのと見えるのです。1986年7月1日の法施行間際の模様から回顧します。




谷口隆志労働事務次官との出会い


  私が初めて旧労働省を訪問したのは、労働者派遣法(以下派遣法)が施行される半年前の1986年1月初めでした。労働省を訪問して谷口隆志事務次官と約1時間会話しました。知り合いの紹介で初対面でした。

  谷口次官は私の専門誌創刊構想をじっくりと聴きました。そのあと次のように述べました。「なるほど、よくわかりました。役所は法律を作るのは上手だが、普及は苦手です。三浦さんのようなマスコミ出身者の能力を借りるのも案の1つですね。この法律は少し難解ですから翻訳が必要です」と。谷口次官はゆったり構えて、官僚らしからぬ政治家のような印象を受けました。

  そして、その場で施行事務を所管する労働力需給システム室担当の坂根俊孝大臣官房参事官(故人)を紹介したい、と言ってくれたのです。当時の私は毎日新聞社をすでに退社して無職浪人の身でした。記者時代は東京本社社会部に属していました。しかし、労働省の出入りは初めてだったのです。

  2、3日経ってから職業安定局の労働力需給システム室に足を運びました。坂根参事官は谷口次官からすでに私のことを聞いていたようで、ていねいに応対してくれました。10人前後の若い事務方がせわしく仕事をしていました。その日以来、ほぼ毎日、私の労働省回りが始まったのです。当時38歳になったばかりでした。

  労働省は他の官庁と比べて部外者に対する垣根がさほど高くありません。それに気さくです。筆者がそれまで担当した警察は捜査情報を抱えているのでガードは固かったのですが、労働は事件捜査とは違います。それに、女性官僚の姿が目立ち新鮮でした。

  東京都職業安定部も同じです。都の人口と企業数は他府県と比べて飛び抜けて多く、新法による一般労働者派遣事業の許可申請の件数はかなりの数に上ると予想されていました。

  1月半ば以後の私はほぼ毎日午前中に労働力需給システム室を訪問して、室長補佐や係長に法令の解釈と運用などを聞きだして勉強しました。一息ついてから労働省B1の職員食堂で昼食をすませ、午後から有楽町の旧都庁詣でを繰り返しました。そこでも、職安課長、課長補佐、係長との人間関係を築いては労働行政の現場の基礎を教えてもらったのです。


徒手空拳のスタート


  派遣専門誌構想に対する谷口隆志次官、坂根俊孝参事官の理解を得て以来、私は出版社の設立を急ぎました。意見と主張を大切にしたいため、会社名を株式会社オピニオンと決めました。資本金はわずか400万円。本社は東京港区赤坂6丁目のワンルームマンション。1986年3月6日に法人登記をしました。赤坂を根城に「月刊人材派遣」の創刊準備に入りました。スタッフは私とパートタイマーの女性、それに年配の編集経験者が臨時的に助っ人として加わりました。

  新法の施行日は7月1日でした。私は準備号の編集と制作と販売を急ぎました。そんな矢先、労働力需給システム室で新法にもとづく施行規則がまとまることを知りました。そこで、労働力需給システム室と話し合い、それを『月刊人材派遣別冊』に掲載して4月1日に発行。さらに、「許可申請・届出様式モデル記載例集」を5月1日に出版することに決めました。別冊と追録号は、許可申請が間もなく全国のハローワークで始まるためにヒットしたのは言うまでもありません。

  NHKテレビの「暮らしの経済」が月刊誌を取り上げてくれたことが全国レベルで知られるきっかけとなりました。幸運にも番組の企画立案者は大学の同級生でした。このほか、出身の毎日新聞、記者クラブで一緒に仕事をした他紙の記者たちも“ご祝儀”とも言える記事を次々に掲載してくれたのです。

  一方、販売をどうすべきかが課題となりました。書籍取次ぎの東販、日販などは、月刊人材派遣をマイナーの雑誌と見て取引口座を開いてくれませんでした。しかし、知人が政府刊行物を取り扱う取次店を紹介してくれて、わずかながらも全国の政府刊行物販売所で流通させることができました。

  他方、東京駅前の八重洲ブックセンター、日本橋・丸善、新宿・紀伊国屋などのような有名書籍店には私が直接営業して別冊号を置いてもらいました。中でも八重洲ブックセンターの売れ行きは他の書店を圧倒し、毎日のように別冊号を補充しなければなりませんでした。このようにして、別冊2号の各1万部は法施行の7月までに売り切れとなったのです。私は朝から晩まで働き、終電に間に合わず赤坂のオフィスに寝泊りする日々を過ごしました。

  このような混乱の中で、派遣事業の専門誌「月刊人材派遣」は1986年7月1日の法施行時に発行されました。労働力需給システム室でも創刊号を手にして喜んでくれました。


林労働相が巻頭言で「大胆、且つ、意義のある企画」と表現


  創刊号では、当時の林ゆう(しんにょうに有)労働大臣が「新法施行と創刊に寄せて」と題する巻頭の言葉を寄せてくれました。林労働相はその中で次のように述べているので紹介します。

  「一定のルールの下に労働者派遣事業を制度化し、派遣労働者の雇用の安定及び福祉の増進を図ることを目的とする労働者派遣法が七月一日から施行され、派遣会社、派遣先及び派遣労働者をめぐる新たな関係が出発することとなっております。この時に当たり、これら関係者を対象とした新しい情報誌『月刊人材派遣』が創刊されたことはまさに時を得たというべきであり、心から御祝いを申し上げたいと思います」。さらに、本文の中に至って、

  「本誌は幅広い派遣先や多くの派遣会社あるいはそこで働く派遣労働者の間を『人材派遣』という観点から横断的につなぐとともに、行政とのパイプ役をも果たそうとするものであり、大胆、かつ、非常に意義のある企画であります。 本誌が関係者に広く購読され、掲載される各種の情報を通じて少しでも法の正確な理解が深まることを期待しております」と。

  許可を取得して誕生した新生人材派遣業界も非合法事業が合法となったことを喜び、未来に向かって胸を張ったのです。

(次号につづく)。

(この記事は、月刊人材ビジネス2016年2月号に掲載されたものです)


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