「新」人材派遣物語   Vol.4

  人材ビジネスは、“ピューリタン”であらねばいけないのか?

   月刊人材ビジネス主筆    三浦 和夫


   人材派遣業のターニングポイントは、やはり、2008年12月ではなかったか、と思います。リーマンショックの影響で製造現場を中心に大量に発生した“派遣切り”が社会問題に発展。東京・日比谷公園の年越し派遣村の騒ぎが火に油を注ぐ結果となり、派遣労働不要論、労働者派遣法の規制強化へと舵が切られたのです。私たちはそれを忘れてはいけません。




派遣業界にとって多難の9年間


  派遣法施行以来まもなく30年。その長い歴史の中で、私たちが教訓として長く記憶にとどめるべきことは、いわゆる“鬼門の年”に入った観がある07年以降の9年間だと思います。

  軽作業派遣の双璧でもあったグッドウイル、フルキャスト問題。さらに、製造業の偽装請負問題が朝日新聞の一面トップで連日報道されました。そして大量の“派遣切り”を発生させたリーマンショックの影響、そして、意図的か偶然かはわかりませんが、「年越し派遣村」(08年師走)のメディア報道。

  派遣業界の取扱高が拡大してきた中で発生した事件と事故はまさに“好事魔多し”と言って過言でありません。派遣批判は当時の国会に飛び火して、それを境に労働者派遣法の規制強化が叫ばれたのでした。

  「派遣法生みの親」とも呼ばれた故高梨昌・信大名誉教授は民放の番組に呼び出されて、派遣法制定の意義を述べて派遣擁護論を展開したものの、逆に出演者たちから批判されて怒り心頭に達していました。

  私も東京12ch(TV東京)のWBS(ワールドビジネスサテライト)の取材を受け、カメラの前で約30分発言しました。しかし、最も伝えたかった中身はカットされてTVでは約5分間の露出で終わりました。

  文藝春秋(07年6月号)も、「『悪魔のビジネス』人材派遣業」という特集を10頁で組み業界を痛打していました。07年以後の派遣批判はまるで中世ヨーロッパの魔女狩りと同じような様相を呈していたのです。




義憤が大声の批判に


  さて、国会に飛び火した結果、09年夏の総選挙で自民党が大敗して、民主党を中心とした社民、国民新の連立政権が初めて誕生しました。その結果、社民主導による登録型派遣、製造派遣、日雇い派遣の原則禁止案が打ち出されてしまい、業界は混乱しました。日本人材派遣協会は「絶対反対」の署名運動を展開。私も講演会や月刊人材ビジネス誌上、心ある国会議員たちに訴えました。

  「実態として派遣労働があるのにそれを『けしからん』と言って禁止すれば解決するという発想は短絡的である。一部の違反行為を以って全体を評価し派遣事業を否定するのはいきすぎだ」(主意)と。しかし、“派遣悪者論”の多勢に対して擁護論は無勢に近い状態だったのです。




傷ついた信頼を取り戻す努力


  規制強化案を盛り込んだ改正派遣法案はその後、国会に何度も出されたものの、廃案を繰り返しながら修正が施され、ようやく2012年の春に成立しました。民主党を中心とした連立政権が弱体化して自公両党の勢力が戻りつつあったことが背景にありました。

  結果として、登録型、製造派遣の禁止は撤回されたものの、日雇い派遣は原則禁止されて今に至っています。同法はその後、“非正規の正規化”という世論を反映してさらに改正されて昨年9月に施行されたのです。

  かつての嵐のような派遣批判の背景には、世間の“妬み(ねたみ)”があるように思われてなりません。儲けるのは市場経済下では当然のことですが、「弱い立場の労働者を踏み台にして“濡れ手で粟”とはいかがなものか?」とは、当時のある国会議員の言葉です。

  人材ビジネスは、そういう意味で、社会的な正義と意義、使命を担っているのは間違いありません。そのようなことから、できるだけ“ピューリタンであれ!”と言われているような気がするのですが、読者の方々のご意見はいかがでしょうか?


  適正な雇用の確保と派遣労働者の保護は法令の主旨です。公共性の高い事業なのです。

(次号に続く)

(この記事は、月刊人材ビジネス2016年5月号に掲載されたものです)


著者プロフィール
三浦 和夫

月刊人材ビジネス 主筆
三浦 和夫

株式会社オピニオン 代表取締役社長。
「人材派遣の活用法」「よくわかる人材ビジネス業界」「派遣社員活用の実際」など、関係書籍多数。

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